以下では、2022年度2年生および1年生が、公共市民学専修で秋学期まで学んだ後に書いた感想文の一部を紹介します。
公共市民学専修で学ぶ中で特に大切だと感じることは、「自分自身でテーマを見つけること」だと思います。この専修では法学、経済学、社会学、政治学など、社会科学の幅広い分野を学ぶことができます。しかし、ただ受け身で学ぶだけでは、広く浅い知識しか得られず、それぞれの内容をつまみ食いするだけになってしまいます。そうならないためにも、意識するべきなのは、自分でテーマを見つけ、そこへ向かって熱心に研究を続けることです。この専修では、社会の問題に取り組む様々なアプローチの仕方が学べます。その技を具体的にどのように活用すればよいかを考え、自身でテーマを設定する、そうすることで、ここで得る学びをより深くすることができます。私は現在2年生で、3年生からのゼミを待ち望んでいます。この専修の学びが開花するのは、ゼミで、一つのテーマを深掘りする時だと思うのです。これまで得た技、知識を用いて自分で問題意識をもって、これからの学生生活も充実させたいです。
(公共市民学専修2年 今井春陽)
元々、自分がこの公共市民学専修を受験しようと思ったのは、明確な学びたい目標がない自分にとって、広範囲に学べるこの学科が最適だと思ったからだった。そして、いざ大学に進学してみて、実際自分の多少興味ある経済学などの分野から全く興味のなかった法学や哲学の分野、そしてこの社会学やメディアなどの分野を学んできたが、驚くことに意外と根の部分では繋がっている点が多いなと感じた。例えば、経済学で学んだことが社会学の分野でも出現したり、哲学の分野が他の分野にも絡んでくるなど、学問は区切られていながら、どこか全て共通している要素をもっているようにも感じた。中でも、家族やジェンダーの問題などは密に関わっている部分であり、自分達の社会を見直していくうえでも、多様な意見について触れることは重要だなと感じた。同じことを取り上げていても、教員の間でそれぞれの意見があり、それぞれの理由があるのも面白い点だなと感じた。特に、自分は社会階層などの問題にとても興味を惹かれたし、自分が実際これまで大学に進学しても変わらない生活を送れているのは裕福ではないにしても子供を大学に行かせる余裕のある両親のおかげだなと強く感じたし、学歴と貧困が密に関わっているという事実は、当たり前のようではあるが、これから社会全体として改善しなければいかない点であると思う。この学科を選択してよかったなと感じるのは、自分の人生を見つめ直す一つの契機になったことだと感じる。今までさしたる違和感なくこれまで過ごしてきたが、大学進学も本当に自分の意思だったのだろうかなどと色々考えさせられ、この20歳という年齢にして久々に親とぶつかることもあった。そんなことも踏まえて、この学科に進学したおかげで色々自分の中で考え方や価値観も変化できたのかなとは思うし、受験校選びをしていた高校3年当時の自分に、その選択は間違ってないよと伝えたいなと思う。
(公共市民学専修2年 夏目空)
公共市民学専修の2年間では社会の仕組みについて学んだ2年間だったなと思います。普段何気なく生活していると素通りしてしまうことも、どうしてこの事象ってこうなっているんだろうということであったり、人と人との関係、人と社会の関係を科学するような習慣や科学してみたいということが増えたと思います。学科の名前からすると何を学ぶ学科なんだろうと感じる方も多いかと思いますが、幅広い学問領域を知りながら、自分の興味のある学問へ辿り着ける学科だと思います。
(公共市民学専修2年 鷲尾太輝)
公共市民学専修では社会学、哲学、経済学などの社会科学全般の基礎を学んだ。それにより、同じ“社会”という対象を見るにしても、切り取り方や見方によって多様な捉え方ができるということを学べた。そして、それぞれの学問の切り口で社会を考えることに面白さを感じている。私は受験生時代「数字にあまり強くない私には経済学は無理だろう」などと思っていた。しかし実際に学んでみると、経済学が面白いと思うなど、その学問に対して勝手に持っていたイメージとはまた異なる印象を持つようになった。ほかの学問分野でも同様である。私は三年次から経済学系のゼミに入ることになったのだが、何を分析するかの“何を”を突き詰めるためにも、もう一度社会学や哲学などの復習をしておきたいと考えている。ただ、入学式前オリエンテーションで「それぞれの学びがつながる楽しさを知った」という学生の声が紹介されていて、私もそれを楽しみにしていたのだが、まだ私はそれを感じることはできていない。自分の学び不足でもあると思うので、今後そのように学びを深めていけたらいいと思う。
(公共市民学専修2年 中条朋香)
公共市民学専修では、他の学部や学科よりも良い意味で「広く浅く」学ぶことができます。私は当初、文学部で自分の好きな映画について突き詰めようと思っていましたが、好きなものに没頭しすぎる自分のままでいいのだろうか?と考え直しました。これから大人になっていくにあたり視野を広げて自ら思考する人間力を身につけていきたいと思い、公共市民学専修に入ったのです。必修科目では、政治学・社会学・経済学・メディア学・ジャーナリズム論・哲学・法学という非常に幅広いアプローチから社会を考察できます。なんだか難しそう…と、恐れる必要はありません。様々な分野を学ぶことで、寧ろ互いの理解が深まっているのを私は常々感じています。私達の生きる社会を、私達人間の視座から捉えていくのは、非常に興味深いです。
(公共市民学専修2年 甲斐ほの香)
大学1年では、各授業や課題を通して、高校生までとは異なる、模範解答のない問いに答えることを通じて、「思考の芽」を身につけられたと思います。そして、大学での学びをある程度把握できて進んだ2年生では、他者の意見や先行研究にたくさんふれて、自分の思考を更に深められた1年、例えるなら「思考の枝」を様々な方向に伸ばせた年だったと振り返ります。2年生になると、入門の授業だけでなく発展的な授業も増え、ただ思考するだけではついていけず、視点を増やすことが必要になります。そのため、各授業で先生方は、授業内容と併せて参考文献を提示してくださいます。去年までは、自分で考えて論述することで精一杯で、先行研究にふれることが難しかったですが、今では積極的に文献にあたり、その学問領域への理解を深められていると感じます。教育学部学生読書室で本を読む時間が去年より格段と増えたことも変化のひとつです。私は来年度より、入学前から希望していた、歴史教育を学ぶゼミナールに入ることになりました。将来は教師や教育に関わる仕事ができればと考えており、そのための学びを深める時間としても充実したものにしていきたいです。また、公共市民学専修での2年間、経済学、法学、社会学、メディア・コミュニケーション学と、社会科学の主要な4分野にふれ、それぞれの知識を身につけられたのではと実感しています。これを糧に、これからも自分の関心を広げ続けたいと思います。大学生活も残り半分となりました。悔いのないよう、目の前の時間を大事に過ごしたいです。
(公共市民学専修2年 中野万里奈)
1年生の春ではどの分野を学ぶか決めていなく、幅広く学べる公共市民学専修に魅力を感じました。哲学の講義はこれからですが、春学期と秋学期の講義を通して公共市民学の4つの柱となる学問について学ぶことができました。講義を受けて感じたことは、この4つの柱は全て「繋がっている」ということです。例えば経済学の講義では政治や法のことが出てきたり、メディア学の講義では社会学のことが出てきたりなど、講義を受けていくと内容の重なりが見えてくることが多々ありました。この重なりが見えると、一つのことに対して「広く」のみならず「深く」立体的に物事を捉えられるという感覚をつかめる時が出てきました。私の知識と思考力がまだまだ足りないためこの感覚が出てくることは時々ですが、この1年間で複数の分野を学ぶことで一つの分野からのみでは見えない角度から社会について考える視点を学べました。1年生のうちに各分野に触れることで、自分がどの分野に興味をもつのかを学んだうえで考えることができるとともに、2年生以降の専門分野を学ぶ際にも他分野の視点を踏まえられると思います。今後は哲学など未修の分野の学問を学ぶとともに興味を持った学問をより専門的に深く学んでいきたいです。
(公共市民学専修1年 小関瑞穂)
入学前や入学当初は公共市民学という分野への理解が曖昧で、高校までの「公民」の授業を発展させたものだと考えていましたが、必修授業を履修していくにつれてもっと視野を広げて考えることが重要であることに気づき、「社会」を良くするために私たちができること、すべきことを追求していくことがこの専修の醍醐味であると思いました。広く様々な分野に取り組むことで、同じ問題に対しても違う分野の目線から分析することができ、社会で起こる問題や課題についてより深く学べていると感じることがあります。公共市民学専修で得た知見や考え方はこれからも生きていく上で非常に意義のあるものだと私は考えます。
(公共市民学専修1年 隈みず花)
公共市民学専修の良い所は、社会科学の幅広い分野にまで手を出せることです。昔から地歴公民が好きだったので、学部選びの際には「自分の生活、社会に密接のある分野で、無難な経済学があるし、なんなら歴史も少し学べるからここにしてみるか」程度の気持ちでした。ただ、1年を通して感じたことは、社会は思っているよりも複雑で、一つの学問だけでは捉えきれないということでした。例えば私が幼少から好きである「歴史」という概念や様相については、時間軸の中で思い浮かべるものと、現代社会から思い浮かべるものと、私自身から思い浮かべるものとは乖離があります。そして、その乖離がどのような公共的な社会に影響しうるかも、また様々な視点、学問によってまちまちです。特に経済学や社会学は、そのアプローチが全く異なり、それぞれ重要な考察だと思います。公共市民学専修のカリキュラムでは、間接的に密接する社会、自分の生活に対する多くの教養が学べ、学年を上がるにつれて専門分野を深掘りできる仕組みで、その土壌として社会科学の幅広い分野を学ぶことは、確実に何らかの形で生きていくのではないかと思います。
(公共市民学専修1年 毛保航志)
私は公共市民学専修に入学するにあたり、「公共市民学」とは何なのか全くわかりませんでした。インターネットで調べても、政治学や法学などのような聞き覚えのある学問ではなかったので、周囲から勉強の内容を聞かれても、分からない状態でした。しかし一年間学ぶにつれて「公共市民学」という学問が何であるのかが徐々にわかるようになってきたように感じます。公共市民学専修では、政治、経済、法律、社会学、メディアの大きく5つの分類の学問領域について勉強します。他学部と違い、これらに横断的に触れることで、私は「社会とは何か」について理解を深めることが出来るように感じます。社会は重層的に様々な事柄が関係し合うことによって成立しており、公共市民学専修ではその横断的な理解によって、特定の学問の観点からではなく、社会を多面的な学問、視点により考える事が出来るようになると思います。例えば、ある政策判断について、政治的に考えればこうであるが、経済学的に、社会学的にはどうだろうか、というように社会の多面性を理解したうえで、考えられるようになるので、より社会で起きていることが面白く感じます。これらの点から私は「公共市民学」とは、「社会を横断的に学ぶ学問」であると考えています。「公共」、「市民」といった言葉は現代社会に生きる我々の「姿」そのものであり、その「姿」を学べるのが「公共市民学専修」であるように思います。大学生活4年間において、社会を「多面」的にみること、そしてその多面性の中から、自らが興味を抱いた「一面」を突き詰めて理解を深めていけるので、「多面」をみる段階にいる身として、様々な視点で、自分の意見を持ち、次のステップにつなげられるように学んでいきたいと思います。
(公共市民学専修1年 功能誠也)
一年間公共市民学専修で学習してきて、この専修の最もよいと思う点は相互補完的な学習ができるというものです。一見それぞれが全く違うフィールドで行われている様にみえる様々な「公共市民学」ですが、実際に受講してみると、ある講義で疑問に残ったことが違う講義で説明されたり、またさらには社会学の講義で学んだことを活かして経済学の授業を更に踏み込んで考えてみたり、そんなことができたりするのです。この学際的とも言える学びは自分に新しい分野の興味をもたせてくれたり、また自分自身の興味を更に深いところへ運んでくれます。私自身はもともと経済学には一切の興味もなかったのですが、実際に授業を受けてみると非常に興味深いものであり、今まで食わず嫌いしていたことに気付かされました。私の好きな政治学の分野にも大きく関わりがあることを知ることができたのも、このカリキュラムのおかげです。興味関心により自分の知識が偏らず、多角的な視点で社会を見る力を養うことができるようになる専修であると考えます。
(公共市民学専修1年 高草木彩乃)
私は入学する前はそもそも「公共市民学」とは何か、中学・高校で学習した「公民(科)」や、以前の専修名でもある「社会科学」とは何が違うのかなど根本的な疑問を持っていました。入学して1年しか経っていない今の私に「公共市民学」とは何かを完璧に説明することはできませんが、そのヒントとなることはこの1年間の講義の中で何度も示唆されていたと感じています。春学期には、社会学・メディア学系の講義を中心に「公共(圏)」とは何か、またそこにおける「市民」の在り方についての講義がありました。これらの学びは、高校までに学習した「公民」とは学問の作法が明確に異なっており、新たな示唆を非常に多く受けました。また、法学系の授業も私の想像とは異なるものがありました。入学前は、既存の成文法としての法律を読み解いていくのが法学の講義かと想像していました。しかし、実際には、法に対する批判・検討を通して市民、もしくは市民社会の在り方を分析していくというような、よりラディカルな学びがありました。他にも様々な点において私の想像とは良い意味で異なるカリキュラム・講義内容であり、であるからこそ自身の学びにつながっていると感じています。従来の「社会科学」は、「人文科学」、「自然科学」に並ぶ学問の分類の1つでしかないように思われますが、その「社会科学」に「公共市民学」という1つのテーマを持たせることで、異なる学問分野に連関が生まれ、より体系的な学びにつながっているのと感じています。今のカリキュラムはその連関を我々学生が、どのように捉えるのかということにかかっています。以前、「公共市民学共通のテキストを制作したらどうかという話がある」とおっしゃていた教授がいらっしゃいましたが、私自身としても、専修の「テーマ」がより我々学生にとって捉えやすいものとなることを期待します。
(公共市民学専修1年 永井雄一朗)
公共市民学専修で1年目を終えた私にとって、この学部の授業は自身の好奇心を常に刺激してくれ、サポートしてくれていたように感じました。今までの私は「わからない」と自分の知らないことを一括りにし、知ろうとしていませんでした。しかし、公共市民学専修では、社会科学の諸分野を横断して学ぶことができるため、自分にとってわからないことに対しても、社会学・法学政治学・経済学・メディア・コミュニケーション学といった様々な側面から物事を知ろうとするための知識を身につけることができるため、知的探究心が以前より高まったように感じます。言い換えるならば、公共市民学の授業は、自分で考えるための素材やそれに対する基礎的な概念を提供してくれていると思います。高校までの知識の習得や暗記といった学びではなく、社会に生きる上で自分の生活を豊かにするための知識や関心を持つテーマに対しての適切なアプローチの方法などといった新しい学びの形が中心となっているため、基礎概念を理解して、自身の考えを論理的に述べることもできるようになったと実感しています。知識をただ得るのではなく、それを人に対して適切に説明する力が身についたことは公共市民学専修カリキュラムを履修して思った良いところであると考えます。また、社会を生きていく中で発生する出来事の原因は一つではなく、様々な原因が関わってきているこの現代で、その原因を複合的に理解するための、非常に幅広い分野の知識を同時に学びながら授業を履修できることは公共市民学という学問の強みであると考えられます。そんな公共市民学が学べる専修のカリキュラムは、知りたいという小さなきっかけから様々なことに結びつけていき、自分に1番適した興味のある方向性を深く考察し、自らまとめることができるようになるカリキュラムで、そんな公共市民学で学ぶことができて、良い1年目であったと感じました。
(公共市民学専修1年 松田和樹)